手合わせ（凌甘）

↓気弱なお頭。

　月の美しい晩だった。
　こんなにも美しい月の晩には、青い月光に濡らされながら酒を酌み交わすのも良いだろう。また、月明かりに照らされた道を当所も無く散策するのも良いだろう。
　こんな美しい夜は、恋人ならば寄り添って、恋人となりたい者達は語り合うところなのだが……、甘寧と凌統の二人は調練場で得物を交えていた。
　曹操に切りつけられた傷が、やっと癒えた甘寧が凌統に手合わせを頼んだのだ。
「そんなけ動けりゃ充分だろ？」
　傷の癒えたばかりの甘寧だけでなく、凌統も大きく息を吐きながら調練場の真ん中に寝転んだ。
「何だよ、もうちょっと付き合えよ」
　口ではそう言っても、甘寧は腕が上がらないほど疲れていた。
「ああん？どの口がそんな事言ってんだつーの、足がふらついてんぞ」
　土の上に寝転んだ凌統が、甘寧を手招きした。
「来てみろよ、いい月が出てる」
　もう一度呼ばれて、甘寧も凌統の隣に腰をおろして寝転んだ。
　真黒な空に、宝玉をばら撒いたような星の河、その星を圧するように真っ白な月が中天に懸かっている。
「…見事な月だな……」
　圧倒されるような月の美しさだった。
「あーあ…、こんな月を調練場で見るなんて…、色気が無さ過ぎだっつーの」
　ひとりごちる凌統の横顔に、甘寧の眼が向けられた。
　月明かりに照らされた凌統の横顔も、美しかった。綺麗な顔だちをしているとは思っていたが…、甘寧は改めてこんなに近くでよく凌統の顔を見たのは初めてだと気付いた。
　……いつも、怒鳴り合ってばかりだからな……。
　甘寧が呉に降って直の頃は、凌統は口も利こうとしなかった。その後は何から何まで突っかかるようになって行ったが、口を利かずに暗い目で睨みつける凌統を見るのが初めの頃は辛かった。
　……当たり前だな…戦とは言え、俺は親父さんの仇だ………。
　そう思い至って、…甘寧の肌が粟立った。
　呂蒙が死んだ時、自分は蜀の奴等を許せると思っていただろうか……。
　仇が目の前にいたら………、そう思うと、甘寧の唇が震え出した。
「…ん？…どうした？顔が蒼い…」
　月を見上げていた凌統が甘寧に顔を向けると、甘寧の顔は月明かりだと言う事を差し引いても青白く見えた。
　凌統は小刻みに震えている甘寧の肩に手を掛けた。
「ああ、冷えてるな…」
　軽装を好む甘寧は、ほとんどの時に袖のある物は身につけていなかった。夜露こそ落ちてはいないが、地面に寝転ぶには寒そうな支度の甘寧の肩を引き寄せ、凌統は自分の長い腕の中に抱き込んだ。
「汗、掻いたままだからな」
　温かい胸に抱き寄せられて、甘寧はどうしていいかわからなくなってしまった。
　自分は…凌統の父の仇なのだ……。
「…凌統……すまねぇ……俺、…俺は……」
　失くしたものの痛み。甘寧が思ってもみなかった痛みだった。血の繋がりはないが…、淡く恋を覚えた相手を亡くした自分でこれほど辛いのだ。二人といない実の父を奪われた凌統の気持ちを思うと、甘寧は目の奥が熱くなってきた。
「失くしたもんの気持ち……考えもしねぇで…」
　喉に詰まる声で、甘寧がせめて一言でも詫びようとすると……、凌統の腕は益々強く甘寧を抱きしめた。
「今更かよ……」
　凌統の言葉に、甘寧の肩が強張った。
「今の俺達は、仲間だろ？…それはもう、終わった事だっつーの」
　凌統の中でどれほどの葛藤があったのか……、父の敵に恋を覚える不徳を、凌統がどうやって乗り越えたのか、それは凌統自身にも判らないのだ。甘寧の事を目の敵にしているうちに、目が離せなくなり、視界にいなければ姿を求め、…呂蒙に甘える様子には嫉妬を覚えるようになり……今では、この意地っ張りを何とか支えてやりたくなっている…。そんな心の変遷は両党にも説明できないのだ。
「俺は、あんたがただの仲間だなんて思えねーけど」
　甘寧を抱きしめたまま、凌統が伏せた顔に額を寄せた。
「…今は、それだけでもいいと思ってる…」
　今、自分は甘寧に恋をしていると言えば…、出来るならば契りを持ちたいと言えば…、甘寧に断る事が出来ない事は判っている。
「…興覇……」
　字を呼ばれた甘寧がそっと顔を上げた。
「俺達、仲間だろ？」
　間近に甘寧の瞳を覗き込み、凌統が口許を緩めた。
　そうなのだ。今は仲間だと言う連帯だけでいい。いつか、この胸の思いを伝える日まで、この意地っ張りの背を守るのは自分だと、凌統はそれだけで満足だった。